フランス王国ヴァロワ朝から見た百年戦争、5人の王たちの年代記

2020/04/17

百年戦争と15世紀フランス

t f B! P L


英仏・百年戦争は、14〜15世紀にかけて起きたフランス王位をめぐるフランス王国とイングランド王国の戦いです。

対立する二国にはそれぞれの視点と解釈がありますが、このページでは「フランス王国ヴァロワ朝の国王5人から見た百年戦争」について取り扱っています。



フランス王家カペー朝の断絶、王冠をめぐる長期戦の始まり


1328年、フランス王国カペー朝のシャルル四世が死去。
王家の嫡流が断絶し、王家の傍系(シャルル四世の叔父の家系)ヴァロワ家が王位を継承してヴァロワ朝が誕生します。

1337年11月1日、イングランド王エドワード三世が「ヴァロワ家の王位継承を不服」とし、「フランス王位を要求」する書簡を送りつけたのをきっかけに英仏・百年戦争が勃発。

1453年10月19日、フランス側のボルドー奪還でやっと終戦。

116年間、ずっと戦闘状態だったのではなく何度か休戦を挟んでいます。
この間、イングランドはプランタジネット朝からランカスター朝へ王朝が移り変わり、ヴァロワ朝の王はついに5代目に突入。

このページでは、百年戦争中のフランス王国ヴァロワ朝5人の王たちのプロフィールとエピソードをご紹介します。

  • 二つ名(王につけられた異名、あだ名)
  • 在位期間と年数・即位した時の年齢
  • 生年月日
  • 没年月日
  • 在位中の主なできごと

今回は5人の王のまとめ簡易版。
あらためて単独ページを作る予定です。



初代・幸運王フィリップ六世

Philippe le Fortuné

フィリップ六世のプロフィール


  • 二つ名:幸運王(Le Fortuné)
  • 生年月日:1293年11月17日
  • 在位期間:1328年〜1350年(在位22年、即位時:35歳)
  • 没年月日:1350年8月22日(享年57歳)

フィリップ六世時代のエピソード


  • 1328年、シャルル四世が死去してカペー朝が断絶。
  • シャルル四世の叔父(ヴァロワ家)の長男フィリップが王位を継承。
  • 1337年、イングランド王国プランタジネット朝のエドワード三世が「シャルル四世の妹王女が母」であることを理由に、フランス王位を要求。
  • フランス王位継承について定めたサリカ法では、直系男子が途絶えたときは男系男子を優先することになっている。
  • フィリップ六世はカペー王家傍系の男系男子
  • エドワード三世はカペー王家直系の女系男子


フィリップ六世とエドワード三世。
どちらが王位継承にふさわしいか、揉める理由も分からなくもない。
とはいえ、ヴァロワ家が王位継承して9年も経っているのに、
いきなりケチつけてくるこの所業!!
すまないが、英国王せこいな…と思わざるを得ない。




2代目・善良王ジャン二世

Jean le Bon

ジャン二世のプロフィール



  • 二つ名:善良王(Le Bon)
  • 生年月日:1319年4月16日
  • 在位期間:1350年〜1364年(在位14年、即位時:31歳)
  • 没年月日:1364年4月8日(享年45歳)


ジャン二世時代のエピソード


  • 1356年、ポワティエの戦いでエドワード黒太子率いる英軍に敗北して、王自身が捕虜・人質になる。
  • 王として君臨した期間は実質6年。
  • 王太子(のちのシャルル五世)の交渉で「身代金+人質交換」と引き換えにフランスに帰国するが、国王として存在感を示せず、再びイングランドに戻る。
  • イングランドはジャン二世を丁重に扱い、人質とはいえかなり待遇は良かったらしい。


王が捕らわれて人質に! フランス大ピンチ!!
チェスだったらここで投了だったな。




3代目・賢明王シャルル五世



Charles le Sage(c)Miniwark

シャルル五世のプロフィール



  • 二つ名:賢明王(Le Sage)
  • 生年月日:1338年1月21日
  • 在位期間:1364年〜1380年(在位16年、即位時:26歳)
  • 没年月日:1380年9月16日(享年42歳)


シャルル五世時代のエピソード

  • 1356年、ポワティエの戦いで父ジャン二世がイングランドに捕らわれて捕虜・人質となったため、王太子だった19歳の時から国王代理を務める。
  • 国王代理として君臨した期間を含めると実質24年。
  • 二つ名のとおり、非常に頭の切れる人物で(イングランドの評価は「狡猾な人物」)教養人だったが、体が弱く、戦闘は主に重臣たちの担当。
  • 百年戦争時代、フランスの三大名将のひとりベルトラン・デュ・ゲクランはシャルル五世の重臣。


百年戦争時代、フランスの三大名将のひとり、
ベルトラン・デュ・ゲクランはシャルル五世の重臣だ。
二つ名は「鎧を着た豚」「ブロセリアンドの黒いブルドッグ」







4代目・狂人王シャルル六世


Charles le Fou(c)P.poschadel

シャルル六世のプロフィール


  • 二つ名:狂人王(Le Fou)
  • 生年月日:1368年12月3日
  • 在位期間:1380年〜1422年(在位42年、即位時:12歳)
  • 没年月日:1422年10月21日(享年54歳)


シャルル六世時代のエピソード


  • 生まれつき精神が不安定で、たびたび問題行動を起こしては統治不能に陥る。
  • 叔父(シャルル五世の弟)たち、王弟オルレアン公、王妃イザボー・ド・バヴィエール、無怖公ブルゴーニュ公、王太子たちが国王代理を務める。
  • 1397年、休戦の証として英国王リチャード二世とシャルル六世の長女イザベル王女(7歳)が結婚。
  • 1400年、イングランドでクーデター勃発。首謀者のヘンリー・ボリンブルックはリチャード二世を幽閉・餓死させると、みずからイングランド王位に就きヘンリー四世となる。イングランド王国プランタジネット朝は断絶、ランカスター朝スタート。
  • 同年、ブルターニュ公が死去。妻子とさまざまな相続権がヘンリー四世に奪われそうになるが、シャルル六世の重臣クリッソンの尽力で阻止。このとき救われたブルターニュ公の遺児アルテュールが、後年シャルル七世の腹心となる。
  • 1407年、王弟オルレアン公がブルゴーニュ公に暗殺されたのをきっかけに王国が内乱状態に。
  • 1415年、イングランド王国プランタジネット朝第2代国王ヘンリー五世がフランス王位を要求。休戦条約を破棄して再侵略を開始。


百年戦争時代、フランスの三大名将のひとり、
オリビエ・ド・クリッソンの二つ名は「屠殺者」だ。
こわいな…できれば穏便にな…



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英仏・百年戦争、前半戦と後半戦の違い

シャルル六世の時代、イングランドで起きた「プランタジネット朝の断絶〜ランカスター朝の誕生」は、王位簒奪クーデターが成功した結果といえます。

2代目ヘンリー五世のフランス王位要求に至っては、百年戦争前半の根拠となった理由(傍系の男系男子か、直系の女系男子か)すら曖昧で、王位継承する権利も道理もありません。

いわば、王位簒奪に味をしめたランカスター王家が、今度はフランス王位簒奪を画策したと考える方が自然だと思います。

ここから、百年戦争は後半戦が始まります。




5代目・勝利王シャルル七世

Charles le Victorieux(c)P.poschadel

シャルル七世のプロフィール



  • 二つ名:勝利王(Le Victorieux)、よく尽された王(Le Bien-Servi)
  • 生年月日:1403年2月22日
  • 在位期間:1422年〜1461年(在位39年、即位時:19歳)
  • 戴冠:1429年7月17日、26歳
  • 没年月日:1461年7月22日(享年58歳)


シャルル七世時代のエピソード


  • 初代・フィリップ六世が王位を継承して以来、4代目までの王は長男が王位継承している「生まれながらの王太子」だったが、シャルル七世は五男で王位継承順位は低く、権力と切り離された環境で育つ。
  • 1417年、兄たちの死去で14歳で王太子となり、パリへ連れ戻される。
  • 父シャルル六世は統治能力に欠けるため、王太子=国王代理に等しい。
  • 国王代理として君臨した期間を含めると、実質的な統治期間は44年におよぶ。
  • 1418年、母イザボーと愛人ブルゴーニュ公がクーデターを起こし、パリから脱出。
  • 1420年、英仏間が取り決めたトロワ条約で廃嫡。王家の嫡流から私生児の身分に貶められ、王位継承権を剥奪される。
  • 1429年、シノン城でジャンヌ・ダルクと対面する。同年、戴冠式を挙行。
  • 1431年、ジャンヌは異端審問で有罪となり火刑に処される。

(火刑〜終戦まで22年間、いろいろありすぎるため省略。なお、一度も敗北なし)

  • 1452年、ジャンヌ火刑の地ルーアンを奪還。異端審問の真相調査を命じる。
  • 1453年10月19日、ボルドーを奪還。カレー港を残してフランス全土を回復し、百年戦争終結。
  • 1455年、ジャンヌ・ダルク異端審問の再審法廷(復権裁判)始まる。
  • 百年戦争時代、フランスの三大名将のひとりアルテュール・ド・リッシュモンはシャルル七世の重臣。


幼少期のリッシュモンは、
同じ三大名将に挙げられるクリッソンに救われた。
その後、次世代の名将となり、主従ともに百年戦争を勝利へ導く
という歴史の流れは、なかなかエモイ。
ジャンヌ・ダルクの物語に匹敵する胸熱展開ではないだろうか。




▼シャルル七世の関連記事(内部リンク)


今回は5人の王たちをまとめてご紹介しました。
王単独の年代記や、重臣たちのページもいずれ公開できれば。








関連Web小説(外部サイト)『7番目のシャルル ~狂った王国にうまれて~』掲載先リンク集
[あらすじ]
15世紀フランス、英仏・百年戦争。火刑の乙女は聖人となり、目立たない王は歴史の闇に葬られた。
一般的には「恩人を見捨てた非情な王」と嫌われ、歴史家は「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と秩序をもたらした名君」と評価しているが、500年後にめざめた王は数奇な人生について語り始めた。
「あの子は聖女ではないよ。私はジャンヌを聖女とは認めない。絶対に」
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。

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