ロンドン塔に幽閉されたフランス王子、シャルル・ドルレアンの詩

2020/04/12

中世の文学と音楽 百年戦争と15世紀フランス

t f B! P L

ロンドン塔に幽閉されたシャルル・ドルレアン(Charles d'Orléans prisonnier dans la tour de Londres)


シャルル・ドルレアンは、15世紀フランスを代表する有名な詩人です。
狂人王シャルル六世の甥(王弟の子)で、勝利王シャルル七世の従兄にあたる人物で、フランス王国ヴァロワ王朝の傍系王族という立場でした。


私と同じ名前の従兄だ。
Duc d'Orléans(オルレアン公シャルル)、
Charles de Valois(シャルル・ド・ヴァロワ)
と呼ばれることもある。


このページでは、シャルル・ドルレアンの前半生と詩について、日本語に翻訳した代表作をいくつかご紹介します。


悲劇の王族詩人シャルル・ドルレアンの前半生

1394年11月24日、王弟オルレアン公ルイと正妻ヴァランティーヌ・ヴィスコンティの子として誕生。

シャルル・ドルレアンが生きた時代は、百年戦争の半ば〜後期に当たります。
日本史でいうと室町時代です。三代将軍・足利義満の没後から応仁の乱の中間くらい。

フランス国王シャルル六世(シャルル・ドルレアンの伯父)は精神が不安定で統治能力に欠けていたため、王弟ルイが摂政を務めていました。

父(王弟ルイ)の暗殺と王国の内乱

1407年11月23日、シャルル・ドルレアンが13歳のときに、父ルイが政敵に暗殺されます。

首謀者のブルゴーニュ公(無怖公)は、王妃の愛人だったために罪に問われるどころか赦免され、母ヴァランティーヌは抗議しますが、逆に「陰謀を企てた罪」で宮廷から追われます。

翌年、ヴァランティーヌは失意のうちに急死。
シャルル・ドルレアンはブルゴーニュ公に弾劾状を送りつけ、王弟の暗殺をきっかけに王国を二分する内乱が始まります。


弾劾状とは、
不正をおこないながら権力で守られている人物を
糾弾する書簡のことだ。


このころ、英仏・百年戦争は休戦していましたが、1415年にイングランド王ヘンリー五世は休戦条約を破棄すると、フランス王国の内乱に乗じて再侵略を開始。

病床の王太子ルイ(シャルル七世の兄)の代わりに、シャルル・ドルレアンが王国軍を率いて出陣します。




敗戦の将としてロンドン塔に幽閉

フランス王国軍はアジャンクールの戦いで大敗し、敗軍の将シャルル・ドルレアンは捕らわれてロンドン塔に幽閉されてしまいます。
虜囚の期間中、母譲りで詩才に長けていた彼は多くの詩を書きました。

アジャンクールで捕らわれたのは21歳。
フランスに帰国したのは46歳。

シャルル・ドルレアンの虜囚生活は25年に及びました。


身分の高い罪人や反逆者を収容・処刑していたロンドン塔(c)pikous

このページのトップに掲載した画像は、ロンドン塔に幽閉中のシャルル・ドルレアンを描いたミニアチュール(細密画)です。
現在のロンドン塔の写真と比べると、感慨深いものがあります。

実際は、25年間ずっとロンドン塔にいたのではなく、イングランド各地を転々としていたようです。


シャルル・ドルレアンと百年戦争、ジャンヌ・ダルクとの関係

その名が示すとおり、シャルル・ドルレアンはオルレアンの領主です。

オルレアンの人々はイングランドの侵略に憤慨し、強く抵抗しました。
当時の常識として、領主を捕らえておきながら、領主不在の地域を攻撃することは人道に反する非常識なおこないだったからです。
現在よりも命の価値が軽い時代でしたが、その時代なりに道徳と倫理がありました。

異母弟デュノワ伯ジャンは、兄と手紙でやり取りしながら、フランス王国とオルレアン領を守るために奮戦していました。

シャルル六世の5人の息子は、末弟シャルルを残して死去。
北フランスをイングランド・ブルゴーニュ派が、南フランスを王太子(シャルル七世)が統治している状況で、百年戦争の期間中、もっともフランスが劣勢だった時期です。
王太子シャルルは19歳で事実上のフランス王として即位しますが、戴冠式を挙行する力はありませんでした。

パリをイングランドに奪われている状況で、王太子の従兄シャルル・ドルレアンの領地オルレアンは重要な拠点でした。
オルレアンが落ちれば、情勢は一気にイングランド有利に傾きます

なお、ジャンヌ・ダルクを一躍有名にしたオルレアン包囲戦は、シャルル・ドルレアン幽閉中の出来事です。ジャンヌが受けたとされる啓示はふたつ。

  • 王太子をランスへ導き、ノートルダム大聖堂で戴冠させる
  • オルレアンを解放する

ふたつめの啓示が、シャルル・ドルレアン(=オルレアン公)解放を指していたのか、または、オルレアン領の解放だったのか、解釈が分かれます。

オルレアン防衛と王太子シャルルの戴冠をきっかけに形勢は逆転。
ジャンヌ火刑後もフランスの優位とイングランドの劣勢は覆らず、火刑から22年をかけてフランス全土を奪還、百年戦争は終結します。




中世の詩が、19世紀ヨーロッパでリバイバル

シャルル・ドルレアンは中世末期、15世紀の詩人です。
ヨーロッパ音楽史としてはバロック以前、バッハ以前の古楽と呼ばれる時代。
吟遊詩人が手持ちのハープやリュートを鳴らしながら、恋物語や歴史劇を詩にして語り継いでいました。
シャルル・ドルレアンの詩のテーマはさまざま。

  • 故郷や家族のこと
  • 美女への賛辞
  • 四季の移ろい
  • 平和への祈り

「冬は嫌い、追放したい」「まどろみたい、枕から頭が離れない」など、現代人も全力で共感するユーモラスな詩もあれば、ネズミさんにメッセージを託すハートフルな詩、幽閉中に一人娘の訃報を知って悲嘆に暮れている詩もあります。

昔の日本人、特に身分の高い教養人が、日常的な情緒を歌にして読んだ感性に近いかもしれません。

幽閉中に平和を祈った詩は、第二次世界大戦下のフランスでも歌い継がれ、人々に勇気を与えました。

フランスの中学〜高校では「シャルル・ドルレアンの詩」について学ぶそうで、日本でいえば「室町時代の代表的な文学作品」みたいな位置づけかもしれません。

ドビュッシーが作曲して歌曲に

19世紀ごろのヨーロッパでは、古い時代の詩やおとぎ話に伴奏をつけて歌曲にすることが流行しました。シューベルト作「魔王」「野ばら」は、日本でもよく知られています。

このころ、シャルル・ドルレアンの詩も注目され、ドビュッシーなどが歌曲にしました。クラシック音楽になじみのある方は、聞いたことがあるかもしれません。

とはいえ、日本ではやはりマイナー。

Web小説「7番目のシャルル 〜狂った王国にうまれて〜」では、主人公シャルルの従兄として登場します。キーパーソンのひとりですが、幽閉中のため、物語のメインキャラにはなれません。

詩人シャルル・ドルレアンの数奇な生涯と、詩の背景について少しでも紹介いたしたく、また、歴史と詩と音楽を(よかったら小説も!)組み合わせることで、各作品をさらに深く楽しめるのではないかと。





シャルル・ドルレアンの詩(フランス語→日本語翻訳)


代表作をいくつかご紹介します。
なお、十五世紀フランス語の詩を、正確なニュアンスで日本語に翻訳するのは難しいことをご承知おきください。雰囲気を感じていただければ。


季節がマントを脱ぎ捨てた

比較的、情景が浮かびやすい詩からいきます。
冬空を覆う厚い雲をマントに見立てて、春の訪れを喜んでいる詩です。
以下、Poème Le temps a laissé son manteau - Charles d'Orléansから引用します。

Le temps a laissié son manteau
De vent, de froidure et de pluye,
Et s'est vestu de brouderie,
De soleil luyant, cler et beau.

Il n'y a beste, ne oyseau,
Qu'en son jargon ne chante ou crie
Le temps a laissié son manteau
De vent, de froidure et de pluye.

Riviere, fontaine et ruisseau
Portent, en livree jolie,
Gouttes d'argent, d'orfaverie;
Chascun s'abille de nouveau
Le temps a laissié son manteau.

季節がマントを脱ぎすてた
風と寒さと雨をまとったマントを
そして太陽の輝きと明るさと美しさを
刺繍した衣装に着替えた

生きとし生ける動物たちも鳥たちも
みんなそれぞれ自分の言葉で歌ったり鳴いたりしている
季節がマントを脱ぎすてた
風と寒さと雨をまとったマントを

川も泉もせせらぎも
銀細工の水滴で飾られた
きれいな晴れ着をまとっている
誰もが新しい衣装を着ている
季節がマントを脱ぎすてた

(季節に対する豊かな感性は、日本の詩歌に通じるものがありますね)


イヴェールよ、お前はまさしく悪者だ!

ドビュッシー作曲「シャルル・ドルレアンの3つのうた」のひとつ。
以下、Poème Hiver, vous n'êtes qu'un vilain - Charles d'Orléansから引用します。

Yver, vous n'estes qu'un villain !
Esté est plaisant et gentil,
En tesmoing de May et d'Avril
Qui l'acompaignent soir et main (1).

Esté revest champs, bois et fleurs,
De sa livree de verdure
Et de maintes autres couleurs,
Par l'ordonnance de Nature.

Mais vous, Yver, trop estes plain
De nege, vent, pluye et grezil ;
On vous deust banir en essil (2).
Sans point flater, je parle plain,
Yver, vous n'estes qu'un villain !

1. Main: Matin.
2. Essil : Exil.

Yver=イヴェールは冬、Esté=エステは夏です)

イヴェールよ、おまえはまさしく悪者だ!
エステは優しくて気持ちがいい
4月と5月が証人だ
朝と夜もともに手を取って慰めてくれる

エステは野原に森に花に
緑色の彩りを
色とりどりの服を着せる
自然の摂理が命じるままに

だがイヴェールよ、おまえは地味すぎる
雪に雨に風に霰(あられ)ばかり連れてくる
おまえは追放されなければならない
ひるまず、私は公明正大に告ぐ
イヴェールよ、おまえはまさしく悪者だ!

(どうやら、シャルル・ドルレアンは冬がお嫌いのようです)


タンブランの音が聞こえてくる

ドビュッシー作曲「シャルル・ドルレアンの3つのうた」のひとつ。
以下、Quant j'ai ouy le tabourin | Oxford Liederから引用します。

Quant j'ai ouy le tabourin
Sonner pour s'en aller au may,

En mon lit n'en ay fait affray
Ne levé mon chief du coissin;
En disant: il est trop matin
Ung peu je me rendormiray:

Quant j'ai ouy le tabourin
Sonner pour s'en aller au may,

Jeunes gens partent leur butin;
De non chaloir m'accointeray
A lui je m'abutineray
Trouvé l'ay plus prouchain vousin;

Quant j'ai ouy le tabourin
Sonner pour s'en aller au may,
En mon lit n'en ay fait affray
Ne levé mon chief du coissin;

Tabourin=タンブランとは南フランス起源の太鼓のこと。タンブランを叩いて伴奏を鳴らしながら、賑やかに踊るお祭りがあるとか)

タンブランの音が聞こえてくる
その響きは5月へ私たちをいざなう

ベッドの中で私はじっとしている
枕から頭を持ち上げる気分にならなくて
こう言ってみる、まだ朝は早い
もう少しまどろんでいよう

タンブランの音が聞こえてくる
その響きは5月へ私たちをいざなう

若者たちは恋の戦利品を分け合っている
私は興味ないけど幸せだ
私と君で戦利品を分け合おう
もっとも気心の知れた隣人を見つけたぞ

タンブランの音が聞こえてくる
その響きは5月へ私たちをいざなう
ベッドの中で私はじっとしている
枕から頭を持ち上げる気分にならなくて


(祭りが始まるとみんな恋のハンターになるけど、私は興味ないから寝てるーと言いつつ、ベッドの中で一緒にまどろんでいる相手(隣人)がいるようにも聞こえますね)
(ベッドの中でだらだら=いちゃいちゃ?)


神よ、素晴らしき彼女を創造してくださったお方よ

ドビュッシー作曲「シャルル・ドルレアンの3つのうた」のひとつ。
以下、Dieu! qu'il la fait bon regarder! | Oxford Liederから引用します。

Dieu! qu'il la fait bon regarder,
La gracieuse bonne et belle;

Pour les grans biens que sont en elle
Chascun est prest de la loüer.
Qui se pourroit d'elle lasser?
Tousjours sa beauté renouvelle.

Dieu! qu'il la fait bon regarder,
La gracieuse bonne et belle!

Par de ça, ne de là, la mer,
Ne scay dame ne damoiselle
Qui soit en tous bien parfais telle!
C'est ung songe que d'i penser.
Dieu! qu'il la fait bon regarder!

神よ!素晴らしき彼女を創造してくださったお方よ
上品でやさしくて美しいひと

あまりにも素敵なひとだから
みんなが彼女を褒めようとしている
彼女に飽きる人などいるのだろうか?
彼女の魅力はますます増していく

神よ!素晴らしき彼女を創造してくださったお方よ
上品でやさしくて美しいひと!

はるかかなたの海の向こうにも
これほど素敵な淑女や令嬢がいるとは聞いたことがない
すべてが完璧で夢のように素晴らしいひとだから!
彼女について考えるだけでも夢ごこち
神よ!素晴らしき彼女を創造してくださったお方よ!



ロンドン塔のワタリガラス(Two ravens at the Tower of London)(c)Norppa


今回はここまで。
シャルル・ドルレアンの後半生とその他の詩について、後日あらためて追加します。

15世紀前半のフランスは困難な時代でしたが、作家たちは戦禍の中でたくましく創作活動をしていました。

当時から名声を得ていた詩人アラン・シャルティエや、シャルル七世の義弟(王妃の弟)ルネ・ダンジューが書いた騎士物語などもご紹介したいですね。
彼らの作品を、小説の中に取り込むには限度がありますから。

日本ではあまり取り上げられない時期(ルネサンス前)ですが、中世にしては洗練されていて、近世ほどケバケバしくないところが好きです。







関連Web小説(外部サイト)『7番目のシャルル ~狂った王国にうまれて~』掲載先リンク集
[あらすじ]
15世紀フランス、英仏・百年戦争。火刑の乙女は聖人となり、目立たない王は歴史の闇に葬られた。
一般的には「恩人を見捨てた非情な王」と嫌われ、歴史家は「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と秩序をもたらした名君」と評価しているが、500年後にめざめた王は数奇な人生について語り始めた。
「あの子は聖女ではないよ。私はジャンヌを聖女とは認めない。絶対に」
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。

ブログランキングに参加しています。応援がわりにクリックしていただけると励みになります。当ブログのランキング状況も見れます。

人気ブログランキング
<スポンサーリンク>

ブログ内検索


人気ブログランキング

<スポンサーリンク>

月別記事

QooQ