Web小説「7番目のシャルル 〜狂った王国にうまれて〜」は、15世紀のフランス王シャルル七世が主人公です。
一般的な知名度は、ジャンヌ・ダルクの物語に出てくる「地味な王太子」として。
世界史に詳しい人からは、英仏・百年戦争を終結させた「勝利王」という二つ名で記憶されています。
このページでは、有名なジャンヌ・ダルクではなく、どう見てもマイナーで良いイメージのないシャルル七世を主人公にした理由について説明します。
王太子シャルル(勝利王シャルル七世)の通説イメージ
一般的なシャルル七世のイメージ、特にジャンヌ・ダルク関連の通説では、次のようなキャラクターとして描かれることが多いです。- ジャンヌのおかげで王になった
- 恩人を見捨てた非情な王
ぶっちゃけ、事実です。
とはいえ、後者は「見捨てた」というより「助けられなかった」の方が実情に近いかも。
なんだかんだ言っても、二つ名「勝利王」のとおり、長い戦争を終わらせた王に違いありません。
勝利王は、暗愚か名君か。
意見が分かれますが、メジャーな歴史に登場するわりに「地味」なキャラクターであることは否めません。
ですが、典型的なイメージ(先入観)から離れて、シャルル七世の実像を追いかけると、地味だなんてとんでもない!
史上まれに見る波瀾万丈な生涯を送っています。
浮き沈みがあるのが人生の常とはいえ、どん底と頂点の差が極端に激しい。
古今東西、世界の歴史にはさまざまな君主や英雄がいます。
ですが、勝利王ほど激動の生涯を送った人物を、私は聞いたことがありません。
かなりのレアケース、通説に埋もれたレアキャラだと思います。
王太子シャルル(勝利王シャルル七世)の生い立ち
1403年。時代は中世末期、15世紀のフランス王国。
シャルル王子は、「狂人王」と「淫乱王妃」と呼ばれる国王夫妻の間に生まれました。
10人きょうだいの末っ子で、第五王子です。
誕生前に長兄と次兄が夭折したため、三男とされる場合もあります。
不遇な環境と、数奇な運命
父王シャルル六世は、精神を病んでいて統治能力に欠けています。
母妃イザボーは、フランス王国史上最悪の悪女と呼ばれる(淫乱王妃とあだ名されるほど)ビッチな王妃です。
生まれる前から、王国は戦乱が絶えませんでした。
国内の王侯貴族はヤクザの抗争のごとく殺し合い、ペストの流行と自然災害と長い戦争の影響で、身分に関係なく国中が無法地帯と化しています。
対外的には、イングランド王ヘンリー五世が「王冠と領土をよこせ」と休戦協定を破ってガンガン侵攻してくる!
焦土作戦と略奪の横行で、フランス王国は崩壊寸前です。
王国存亡の危機が迫る中、兄たちの相次ぐ不審死により唯一の王位継承者になったのが、権力から切り離されて育った帝王学も知らない14歳の少年。
残念ですが、どう考えても詰んでます。
新世紀エヴァンゲリオンの第一話、主人公・碇シンジくん(同じく14歳)に課せられた重責よりひどいかもしれません。
使徒……じゃなかったイングランドの襲撃? 決断しろ? できるわけない!!
だが、逃げちゃダメだー!(逃げられないけどね!)
老いた父は精神異常と認知症で耄碌し、実母と愛人に命を狙われ、王都パリを追われてついに都落ち。
王太子になってからわずか3年で、王位継承権と王国を奪われて……
まだ若いのにすっかり厭世的になった頃、かのジャンヌ・ダルクが現れます。
王太子とジャンヌ・ダルクの出会い
通称、救国の英雄。救国の乙女。ジャンヌ・ダルクは「戦うヒロイン」の典型です。
逆に、王太子の方が「守られ系ヒロイン」ポジションに当てはまりそうです。
ふたりが出会ったとき、王太子シャルルは26歳。
農民の娘、ジャンヌは16歳。
なんだか、身分違いの恋愛フラグが立ちそうですが、たとえ淡い思いがあったとしてもふたりの関係は悲劇で終わります。
無学の少女ジャンヌは奇跡的な勝利を収め、ついに王太子はランスにたどり着き、ノートルダム大聖堂で戴冠式を挙行しました。
こうして、名実ともに王位に就いたのもつかの間。
運命の歯車は反転し、戦うヒロイン・ジャンヌは敵にとらわれて処刑されてしまいます。
ジャンヌダルクの物語は、火刑でエンディングを迎えます。
最後に、取って付けたように「ジャンヌの死後、フランスが勝って百年戦争は終わった」と締めくくられます。
世界中で語り継がれるジャンヌ・ダルクの物語はみんなそう。
ジャンヌ火刑から百年戦争終結まで、知られざる歴史
まるでジャンヌの火刑後、すぐに戦争が終わったみたいですが、じつは火刑から終戦まで22年もかかっています。ピンとこないかもしれませんね。
この期間を、わかりやすく日本史の戦国時代に例えてみましょう。
ちょうど、関ヶ原の戦いから豊臣家滅亡までの期間に当てはまります。
ご存知のとおり、関ヶ原のあとも豊臣家は存続しています。
徳川家康はまだ征夷大将軍になってませんし、江戸幕府さえ始まっていない。
つまり、よく知られた「ジャンヌの火刑後、百年戦争が終結した」という説明は……
戦国時代のあらましを「関ヶ原の戦いで豊臣家が滅亡し、徳川家が江戸幕府を開いた」で済ませてしまうくらい、歴史22年分をまるごと省略していることになります。
……ちょっと、いやかなり大雑把すぎませんかね?
勝利王の視点で、百年戦争を見届ける意義
さて、シャルル七世の視点から歴史を——ジャンヌの火刑が与えた影響、そして百年戦争末期の情勢について——俯瞰して眺めてみると。
ジャンヌの火刑は、頼りない王太子が劣勢を覆して勝利王になるターニングポイントだったと推測できます。……こういうの、めちゃくちゃ燃えませんか?
「あの子の名誉を回復するためにも、私は名君にならなければ(使命感)」みたいな!
ヒロインの死を乗り越えて、ついに主人公覚醒!!
勝利王のキャラクターは、歴史小説というよりライトノベルの主人公にふさわしいかもしれません。
物語の主役として、これほど魅力的なバックボーンを備えているのに数百年ノーマークなのが、ちょっと信じられないです。
そうだ、誰も手をつけないなら私が書いてしまおう!
なお、拙作小説の冒頭、シャルル七世がジャンヌの訃報を聞いたシーンから始まるのは、ここが勝利王のターニングポイントだからです。
その後、小説執筆では物足りなくて、このような歴史ブログまで立ち上げてしまいました。
おそらく私は、
このブログをきっかけに興味を持っていただけたら嬉しいです。
関連Web小説(外部サイト)『7番目のシャルル ~狂った王国にうまれて~』掲載先リンク集
[あらすじ]
15世紀フランス、英仏・百年戦争。火刑の乙女は聖人となり、目立たない王は歴史の闇に葬られた。
一般的には「恩人を見捨てた非情な王」と嫌われ、歴史家は「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と秩序をもたらした名君」と評価しているが、500年後にめざめた王は数奇な人生について語り始めた。
「あの子は聖女ではないよ。私はジャンヌを聖女とは認めない。絶対に」
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
[あらすじ]
15世紀フランス、英仏・百年戦争。火刑の乙女は聖人となり、目立たない王は歴史の闇に葬られた。
一般的には「恩人を見捨てた非情な王」と嫌われ、歴史家は「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と秩序をもたらした名君」と評価しているが、500年後にめざめた王は数奇な人生について語り始めた。
「あの子は聖女ではないよ。私はジャンヌを聖女とは認めない。絶対に」
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
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